昭和20年7月 |
自宅を開放し戦災孤児2名を保護する。学園の始まりであり、この活動は晟徳寺前住職(秦元勝)の宗教活動の一端であった。 |
昭和24年5月 |
札幌育児園分園となり、秦元勝は分園長を拝命。 入所児童は4名であった。 |
昭和26年12月 |
児童福祉法による養護施設の許可を得て独立。 |
昭和28年10月 |
社会福祉法人興正学園を設立。秦元勝初代理事長に就任。 |
昭和29年 |
北海道共同募金会からの配分金により園舎を創建。中の島神社の祭典に園児参加。この頃の指導は唄や踊りが中心。遊具は不足であったが戸外活動中心のカリキュラムは子供の健康生活の基盤として定着して行った。 |
昭和32年11月 |
秦元勝理事長、故あって退任。第2代理事長に千葉葆亮就任。 |
昭和35年10月 |
秦理事自宅を寄付し幼児舎を増設、定員60名となる。 |
昭和40年10月 |
民間老朽施設整備補助の対象事業として園舎を全面改築。 この頃よりボーイスカウト、ガールスカウト活動を通じ中の島地域の人々との結びつきが深まる。学園には施設の行事、地域の行事を通じてコミニュティセンターの役割を果たす。地域の人々との連携は、入所児童の生活空間を広げ、地域の児童との交流の中で情緒も安定し、高校入学希望の児童も増加して行った。 |
昭和43年1月 |
千葉葆亮理事長、故あって退任。第3代理事長に秦元勝就任。 |
昭和45年2月 |
白石興正保育園開園(白石区)。 |
昭和45年3月 |
秦元勝理事長環浄。第4代理事長に森正男就任。 |
昭和46年12月 |
法人名を常徳会と改称。 青葉興正保育園開園(厚別区)。 |
昭和47年11月 |
札幌市立青葉乳児保育園の経営を受託(厚別区)。 森正男理事長、故あって退任。第5代理事長に下出多島就任。 |
昭和54年1月 |
社会福祉法人常徳会創立者秦元勝の妻、環浄。 |
昭和54年6月 |
中の島の環境悪化により新琴似に園舎を新築、興正学園移転。 |
昭和55年4月 |
興正乳児保育園開園(豊平区)。 |
昭和57年3月 |
下出多島理事長、他界により退任。第6代理事長に谷口悦就任。 |
平成6年6月 |
ご下賜の庭、開園式。平成5年12月23日、天皇様の誕生を記念に宮内庁より御下賜金を賜り記念の庭を造る。 |
平成7年10月 |
興正学園創立50周年記念式典 |
平成8年1月 |
谷口悦理事長、故あって退任。第7代理事長に秦正見就任。 |
平成10年4月 |
興正乳児保育園を中の島興正保育園に改称。 |
平成12年4月 |
興正こども家庭支援センター開設(興正学園内)。 |
平成18年4月 |
平岸興正保育園開園(豊平区) |
平成21年2月 |
興正学園新琴似移転30周年記念式典 |
平成22年3月 |
老朽化に伴い青葉興正保育園を新築 |
平成22年3月 |
札幌市指定管理者としての管理業務期間満了により札幌市青葉乳児保育園
廃園 |
平成23年1月 |
興正チャイルドホーム(地域小規模児童養護施設)を札幌市豊平区中の島に新設。 |
平成23年3月 |
老築化に伴い白石興正保育園を新築。 |
平成26年1月 |
秦正見理事長、故あって退任。名誉理事長に就任。 第8代理事長に秦貞子就任。 |
平成30年11月 |
就労継続支援B型事業所サニーチルドレン開設(豊平区)。 |
平成31年4月 |
自立援助ホーム シーズ南平岸事業開始(豊平区)。 |
令和3年3月 |
白石興正保育園を法人から分離。 |
令和3年6月 |
秦貞子理事長、任期満了のため退任。名誉理事長に就任。 第9代理事長に秦直樹就任。 |
令和4年4月 |
興正チャイルドホーム円山 開設(中央区) 平岸興正保育園から平岸興正こども園(保育所型認定こども園)に移行 |
令和5年9月 |
児童発達支援事業所てよる 開設(豊平区) 一時保護専用施設てとて 開設(豊平区) |
令和6年4月 |
青葉興正保育園から青葉興正こども園(保育所型認定こども園)に移行 |